今日は柄にもなく「少子化問題」について真面目に思うことです。
わたしが株式投資する目的とも無関係ではありません。
目 次
どうして「少子化」が問題なの?
いつの頃からか「少子化」という言葉が当たり前のように使われるようになりました。
そして、ほとんどの日本人は『少子化が問題である』という認識を持っています。
では、どうして『少子化が問題である』と思うのでしょうか?
パッと思いつく大きな理由は二つです。
- 将来の国力が弱まる
- 年金制度が破綻する
将来の国力とは労働人口なのかという疑問
とりあえず、世界のGDPを見てみましょう。
📌 2017年の名目GDP
※情報元:IMF - World Economic Outlook Databases
ランキング上位はいわゆる先進国G7とBRICです。
これから労働人口が減る「少子化」の日本は今後GDPが伸びないだろう、と悲観的な予測をされても仕方がありません。
GDPが国力を表すとすれば、たしかに『少子化が問題である』と言えるでしょう。
移民を受け入れて人口を増やすという国策もそこから生じるわけです。
しかし、一人あたりのGDPに目を向けると、
📌 2017年の一人当たりの名目GDP
※情報元:IMF - World Economic Outlook Databases
GDP一人あたりのランキング上位には国土が小さく人口の少ない国が多いのと、どういうことかEU非加盟国のスイス,ノルウェー,アイスランドが並びます。
日本は25位です。G7とBRICではアメリカしか上位にいません。
G7の中でアメリカの経済だけが抜けて強い現状の本当の理由は"一人あたりのGDP"にあるのかもしれないと疑うわけです。
単に頭数の労働人口でGDPを膨らますことが国力、経済成長とは言えないということです。
これからAIを駆使した時代が到来することを想像すると、わたしたちが今まで常識として考えていた「仕事」とか「労働力」とかいう概念、価値観を根本から考え直さなければいけない時が来るのではないでしょうか。
AIを駆使した経済環境では、もしかしたら多過ぎる人口が国力を弱める結果をもたらす、なんてことになるかもしれません。
"一人あたりのGDP"が本当の経済の強さ、国力を表すとなれば、「少子化」は必ずしも問題ではないと思います。
無論、問題となるのは「多老化」の方になります。
今、アメリカや英国が向かおうとしている方向も無関係ではないのかも・・・
「年金制度の破綻」を今さら騒ぐのは愚か
実質、受給世代の年金を現役世代が払っているのが現在の年金制度です。
現状の少子化傾向では将来、現役1人が複数の受給者を支えなければいけない計算ですが、現在の日本の生活価値観のままでははっきり無理でしょう。
年金制度が破綻する、年金がもらえなくなる、だから『少子化が問題である』と一方的に結論づけてしまう。
年金をもらうことを、近づいた現実として期待しだした世代の価値観だと思います。(わたしもその層の一人かもしれませんけど。。。)
何とも言葉が見つかりませんが、このような自分たちの世代を中心に据えた考え方はいかがなものかと思います。
一方で、「人生100年」とか、「70歳まで働ける世の中」とか流布されてますが、これは何を意味していると思いますか。
年金問題はもう少子化対策では解決しないということ、現実は『多老化が問題である』ということの表れではないでしょうか。
要するに「70歳まで自力で生きろ!」であり、「人生100年なんだから70歳は若い、まだまだ働ける!」と意識させたいのでしょう。
しかし、定年なんか伸ばしたら、企業が採用する新卒人数にも影響するわけです。
これからますますのAI時代を考えても、どこかベクトルが一致しないおかしなことが起きそうです。
わたし的には、60過ぎた人間がいつまでも組織にしがみつくべきではないと思います。(必要とされる人は別として)
さっさと隠居して、年金はもらえたらラッキーくらいに思って、60から先の人生を考えるべきだと思います。
何も準備してこないで、「年金よこせ!」「定年のばせ!」と訴える60歳は嫌だな~
💬 チキンハート(CH)の思うところ
おそらく今後、国は年金補填として企業の配当に目をつけると思います。
日本企業の配当が非課税となる日が来るかもという希望的観測を持っています。
おそらく今後、国は年金補填として企業の配当に目をつけると思います。
日本企業の配当が非課税となる日が来るかもという希望的観測を持っています。
(投資は自己責任で)
本当に問題なのは「少子化」ではなく「多老化」
将来の国力のことも、年金のことも、本当に問題なのは「少子化」ではなく「多老化」にあるのではないかと思います。
世の中も既に「少子化対策」から「多老化対策」に動いたと解釈した方が良いと思います。
『多老化が問題である』なんて公に言ったら票にならないから政治家の人たちは口には出せないと思いますけど、現実の「多老化対策」としては、表現は乱暴だけどいい意味の「姥捨山」的なコロニーしかないのかな、と思ったりします。
現役1人で受給者3人の別々の生活を支えるのは無理ですが、現役100人で受給者300人の集合生活を支えるなら可能ということです。
高度経済成長の象徴でもあった「核家族システム」の限界とでも言いましょうか、「多老化」の時代に、日本人の生活価値観、自由とか権利の本当の意味を考え直し、この国の将来に適合するように自分自身を変えていくことが必要だと思います。
サザエさんちのような3世代同居、もっと昔の家督制度の方が自己責任の意識に乏しい日本人には理にかなっていたのかもしれませんね。
「姥捨山」的なコロニーについては思い描くものもあるのですが、お話が長くなるので別の機会があれば・・・
というわけで、既に投資をしている人の多くはお気づきのお話だとは思いますけど・・・
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Danke schön und Auf Wiedersehen / Thanks and See you
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