2019-05-28

サラリーマンの働く価値観の世代ギャップに思うこと

Grüß Gott / Hello

昭和の高度経済成長期からバブル期を経て現在まで、サラリーマンの働く価値観の世代ギャップに思うことです。

  目 次



  世代による働く価値観


自然なことではありますが、サラリーマンの働く価値観は世代によって変化してきているように思います。

もちろん、全員に当てはまるわけではないですけど、漠然と世代別の価値観を分けてみると

  • 昭和の高度経済成長期のサラリーマン

    "must" or "must not" (義務) の判断で働く世代

  • 昭和~平成のバブル期のサラリーマン

    "can" or "can not" (可能) の判断で働く世代

  • 平成の氷河期以降のサラリーマン

    "will" or "will not" (希望) の判断で働く世代

かな。。。

  昭和の高度経済成長期のサラリーマン


"must" or "must not" (義務) の判断で働く世代

この世代のサラリーマンは「やらねばならぬ」という価値観で働いていたように思います。

人生のため家族のためと言いながら、人生と家族を犠牲にして「やらねばならぬ」ことに猛烈に応えていた世代です。

そうしなければ希望する生活を得られなかった時代でもあったと思います。

ある意味、とても根性がある世代です。

悲しいのは「やらねばならぬ」の基準のほとんどは「上司の指示」です。

「上司の指示」が絶対の時代で、逆に「上司の指示」がなければ、どんなに必要とわかっていても「やらなくてよい」と判断してしまいます。

なので、この世代の人たちは「上の指示だから」が口癖で、後の世代から「上の指示? だから何?」と返されて衝突します。

余談ですが、後のバブル期の不動産暴騰で都心からはなれた郊外にしか家を持てなかった世代です。

  昭和~平成のバブル期のサラリーマン


"can" or "can not" (可能) の判断で働く世代

羽振りの良かったバブル期に社会に出たサラリーマンは、就職の心配もなく転職も当たり前でした。

終身雇用にしがみつくために「やらねばならぬ」という悲壮感はこの世代にはなく、楽天的で個性を重視する「新人類」とも呼ばれました。

人生や家庭を犠牲にしてまで過度に努力する必要はないという彼らの価値観は「出来ることは出来る」けど「出来ないことは出来ない」です。

ある意味、とても現実的な世代です。

「出来る」と判断したことはやりぬくプライドを持っている一方で、どんなに必要とわかっていても、出来ないと判断すれば「出来ません」と答えます。

上の世代からは「やりもしない内から出来ないと言うな」と精神論を突きつけられますが、「やんなくたってわかるでしょ」と冷めています。

余談ですが、バブル期に青春時代を過ごしたこともあり、異常にブランド指向が強い世代です。

  平成の氷河期以降のサラリーマン


"will" or "will not" (希望) の判断で働く世代

平成の就職氷河期、少子化という複雑な社会背景が絡み合い、「権利」とか「平等」にとても敏感な現在進行形の世代です。

この世代のサラリーマンは、「やりたいことが仕事」「やりたくないことは仕事ではない」という価値観があるように思われます。

ある意味、しっかり理想を持つ世代です。

上の世代からの「やりたいことがあるなら他のことも努力しろ」という下積みの苦行は彼らには理解できないようです。

一方で、どんなに必要で出来ることであっても、やりたくなければ「やりたくありません」と拒否します。

誰かがやらなければいけないわけですが、それは組織や上司が考えることと割り切っています。

余談ですが、「和を保つ」ではなく、「和から外される」ことに過剰に反応する世代です。




今日のお話はわたしが普段の生活で勝手に感じて思ったことです。特定の世代を肯定する気も否定する気もありません。

令和となり、また新しい価値観のサラリーマンが生まれてくるでしょう。

次の世代の価値観を受け入れることはとても難しいことですが、ある年齢に辿りついた時、それも笑い話になれば良いですね。


というわけで、投資とは関係ないお話でしたが、おつきあいいただきありがとうございます。

Danke schön und Auf Wiedersehen / Thanks and See you

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